だからこの提案が伝わった時から、おもしろい提案だと感じていた。
1984年2月、T田E二はこの開発チームの最初の主査に神保昇二を指名し、15人からなるプロジェクトチームを正式に発足させた。
1930年代にT社自動車を創業したT田喜一郎は、フォードとシボレーを合わせたようなクルマをつくることが目標だった。
今回の目標も明快だった。
新しい高級車はT社のこれまでのプラッットフォームではできないものだった。
チームのメンバーのだれもが、研究開発に数年はかかると考えていた。
それも膨大な資金が必要になる。
「マルF」始動T社では、新車を開発する際にアルファベットと数字でコードネームを決める。
そのアルファベットの順番がFで、新車の開発番号が380だったから、開発計画は略して「マルF」と呼ばれた。
「しかし3.5リットルのV8エンジンにすると、値段が高くなり過ぎるのではないか。
トョタ車は、米国でPテージカーを市場化できるほどイメージが確立しているわけではないのだから、あまり高くなり過ぎては困る」「姉妹車として2.5リットルエンジンを用意する手もある」T社の開発陣は、80年代初めに高速性能のよい4バルブ・ツインカム・エンジンを開発し、これを「クラウン」をはじめとする二リットル車の最上級車に搭載して成功した。
チーム発足にあたってT田E二は、資金や人員に制限を設けなかった。
T社が全社を挙げた取り組みということで「フラッグシップ・プロジェクト」となった同プロジェクトは、その頭文字のFを丸い円で囲んで略称マルF計画と呼び、極秘のうちにスタートした。
神保は、4代目、5代目と二代にわたって「マークⅡ」の主査を担当して大ヒットさせ、米国向けの「クレシーダ」の開発にもかかわっていた。
駆動関係の設計の出身で、それ以前には二代目セリカXXの主査付課長を経験したことがあり、「クレシーダ」の後継車の開発チームのリーダーとなるのは自然だった。
しかし神保は、初めから大ヒットするラグジュアリーカーを目指したわけではなかった。
チームの使命は、「ラグジュアリーセダン」という方向では固まっていたが、どこまで高級車にするか、チーム内部の議論も揺れていた。
「ラグジュアリーセダンと言うからには、3リットルのV6エンジンでは不十分なのではないンパクトでエンジンルームへの収まりがよいV型エンジンの開発に成功し、排気量を大きくすることが可能になっていた。
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